なんにでもあう

たきたて白米

頼むからこれ以上有名にならないでよ同い年

こんばんは、白米うまいうまいです。

深夜なので、少し暗い話をします。

 

いろんな世界で同い年が活躍してると苦しい!!!!!

 

苦しさの余り、感嘆符を5つも用いてしまいました。

でも、それくらい同い年が活躍してると苦しくないですか?

 

私の同い年の有名人には、「志田未来神木隆之介能年玲奈」がいます。

女王の教室君の名は。あまちゃん』です。

やばくないですか?

 

自分と同じだけの年月をかけて成長してきて、これらをモノにしちゃってるんですよ。

私は一体、何をしてたんだ。

私の代表作なんて、小学生の時に作ったビー玉で遊ぶ小型ダンボール迷路くらいです。

時を同じくして、志田未来天海祐希と闘っていたのに、私はダンボールをどんな形に切るかに頭を悩ませていたんです。

私は夢中で工作をしてたんだ。

 

夢中で工作をしていた私に罪はありませんが、この年になると同い年の人がどんどん活躍していくのに焦りを感じてしまいます。

 

特に、同い年ネットで活躍し過ぎ問題。

インターネットど真ん中世代なので、みんないろんなタイプのネットに適応し過ぎ。ほんとに。

 

ねえ、教えてよ画像編集。

ついでに、動画編集も。

私もその打ち込みってやつで音楽作ってみたいよ。

ねえねえねえねえ、やっぱテキストだけじゃキツイかな?

 

こんなことを考えてしまったのも全て近所の夜間工事がうるさいせいです。

工事の作業員に同い年いんのかな。

こんな遅くまでお疲れさまです。

きっとあなたも焦燥感を感じながら、こんな夜中に仕事に従事しているんでしょう。

そう考えると、こんな夜中にこんなブログを書いてる私と少し似ているかもしれません。

 

上ばかり見て焦ったら、このブログに来てください。

私がいます。下でニコニコしてますんで。

1人では嘘もつけない

こんにちは、白米うまいうまいです。

今日は4月1日、そう、エイプリルフールですね。

皆さん、上手に嘘、つきましたか?

 

私はというと、今日は人に会ってすらいないので、嘘をつくこともできず1日を終えようとしています。

こんな現実が嘘ならいいのに。

 

こんな私にも2年前くらいまで、エイプリルフールにだけ嘘のLINEを送り合う友達がいました。

そういう友達ってまじで大事だったんだな〜と送らなくなった今、実感しています。

今思うと「私、実は宇宙人なんだ」という私のしょうもない嘘に「ほんとに?実は私も…」とノリノリで返してくれてたNちゃんの存在が、私のエイプリルフールを支えてくれていました。

今も別に仲は良いんですけど、2年くらい前に忙しさにかまけて送らなかった年があって、それ以来なんとなく嘘を送りづらくなってしまいました。

完全なる自己責任です。

 

年賀状もそうですが、喪中で1年送らなかっただけで翌年まじで0になりますからね。

でもこれも寒中見舞いを出さなかった私が悪いので誰も責められません。

 

嘘をつく、というのは、本当に高等なコミュニケーションだと思うんです。

嘘っていうのは、まず生み出さなければ存在しない訳です。

しかも、生み出して自分以外に伝えて初めて嘘になるんですよね。

 

今日、もしかしから「こんな嘘をつくなんて、ひどい!!」と激怒している人がどこかにいるかもしれません。

しかし、考えてみてください。

あなたにつかれたその“嘘”は、嘘をついた張本人が自ら生み出し、尚且つあなたに伝わったからこそ存在しているのです。

嘘をついたあの人、そしてあなたがいなければ、その嘘は存在すらしなかった。

 

何を言いたいか、わかりますか?

嘘をつける友達が欲しい。

これは本当の話です。

桜を見ているとポップコーンが食べたくなる

今週のお題「お花見」

 

こんにちは、白米うまいうまいです。

今週のお題が「お花見」ということで、風が吹くと桶屋が儲かるみたいなタイトルで失礼します。

 

桜を見ているとポップコーンが食べたくなりませんか?

風が吹くと桶屋が儲かるほど段階を経て繋がるのではなくて、もっとダイレクトに。

 

私は、桜がポップコーンに見えます。

 

特に夜桜、ライトアップされて白っぽいと尚ポップコーンです。

 

大丈夫ですか?ちゃんと想像できてますか?

ほんとにポップコーンなんですって。

 

皆さん、桜の花が咲く時の音を思い浮かべてください。

「ポンッポポポンッ」

はい、頭の中で見事に桜が咲き乱れましたね。

桜が咲く時の音、大抵「ポンッ」ではないですか?

「ポンッ」という音の代表格といえばなんでしょうか?

そうです、ポップコーンの弾ける音です。

 

もしかして:桜はポップコーンだった?

 

桜は、ポップコーンではないです。

期待させてすみません。

でも限りなく近いと思います。

 

冒頭に戻りますが、私は桜を見ているとポップコーンが食べたくなります。

なぜなら、桜とポップコーンが似ているから。

 

もし可能なら、桜自体だって食べてみたい。

桜の木の花のひとかたまりずつを食べたら美味しそうだと思いませんか?

何言ってるかわかります?私は、わかりません。

 

でも、現実の桜味はそんなに好きではないですよね。

桜味ってなんなんですか?

こんなにネーミングの期待を裏切ってくる味は、なかなかないと思います。

桜味が好きな方に聞きたいですが、あなたは本当に桜味の味が好きで食べてますか?

季節をいただく的な感じで、春になるとなんとなく桜味を食べているのでは?

現に桜味が好きではない私でさえ、季節をいただく的な感じで毎年桜味のものを食しています。

そして、毎年「なんか違うな〜」と思っています。

 

話が逸れましたが、桜味が好きではない私は季節をいただく的な感じでポップコーンが食べたいんです。

だって、ポップコーンって、春っぽくない?

お花見にポップコーン、良いと思うんだけどな〜。

 

と、仕事の終わりに近所の公園の桜をぼんやり眺めながらそんなことを考えつつ帰って来たら、家には暴君ハバネロしかありませんでした。

しかも、こないだ一緒に花見をした人がチョイスして残していった余りです。

いや、ハバネロは夏の海で食べたくなるやつ!お花見には絶対ポップコーンだったって!

ルームシェアをしたいのに友達がいない

こんにちは、白米うまいうまいです。

「私の一人暮らし」のお題で、タイトルにいきなり“ルームシェア”という単語をブッ込んですみません。

 

ルームシェアをしたいのに友達がいない。

 

読んで字の如くなのですが、そもそも何故ルームシェアをしたいのかというと、私は一人暮らしが下手だからです。

「一人暮らしが下手とは?」と皆さん思いましたよね。

一人暮らし歴6年、最近気がついた【私が一人暮らしが下手な理由】をご紹介します。

 

 

【私が一人暮らしが下手な理由① 】寂しい。

 

は?と思った方は、確実に実家暮らしですね。

私には分かります。

「一人暮らしが寂しいなんて、始めてすぐ気がつくんじゃないの?」と思っていますね。

私には分かります。

 

違うんです、6年続けてきてここ2年くらいがピークに寂しいんです。

一人暮らしを始めて4年くらい経つと、一人暮らしにも慣れてきてジワジワと「あれ?寂しいかも?」と思う余裕が出てきてしまうんです。

これを《4年目寂しさの谷》と言います。

すみません、言いません。今、思いつきました。

でも、ほんと、これはほんとなんですよ。

嘘だと思う人は4年一人暮らしを続けてみてください。

寂しくならなかったあなたは、一人暮らしが上手。

 

 

【私が一人暮らしが下手な理由②】自分の為の家事、なんか雑になる。

 

これは一人暮らしをしてる人には「あ〜わかるわかるわかる」って言ってもらえるんじゃないかと思います。

自分の為に丁寧な生活、出来ます?

何よりも寝てたくありません?

一人暮らしというのは誰にも干渉されない分、手を抜こうと思えばいくらでも抜けてしまうんです。

もちろん、それが最高!と思う時もあるんですが、あまりに自堕落に過ごしていると実家の母の「早く片付けなさいよ!」が懐かしく思えてきます。

でも決して怒られたくはないですけど。

 

 

以上の理由から、私は一人暮らしが下手です。

あれ、理由2つしかないじゃん?と思いましたね。私も思いました。

一人暮らしって下手でも基本的には最高なんですよね。

しかし、自堕落な生活からは抜け出したい。

でも、決して怒られたくはないので、適度な距離感の友達とルームシェアをしたい。

適度な距離感の友達の為なら、見栄もあるのでまあまあ家事を頑張れると思うんですよね。

朝食にホットサンドを作るくらいには、丁寧な暮らしが出来そうな気がします。(美味しそう)

 

でもここで問題なのが、そもそもルームシェアをする友達自体ががいないということです。

完全に詰みました。

ルームを用意出来たとて、友達がいなければシェアが出来ません。

そこにはただ無駄に賃料の高い3LDKのルームが広がるのみ。

 

ルームシェアをしたら、毎晩仕事終わりにみんなでボードゲームをしたいという具体的な夢まであるのに。

このままでは、折角買った『人生ゲームBB(ブラック&ビター)』を一人でプレイすることになり、「ブラック&ビターを一人でプレイする」というゲームよりブラック&ビターな人生を歩むことになってしまいます。

 

それは辛すぎるので、友達が出来るまでは一人暮らしを続けようと思います。

少しでも丁寧な暮らしに近づく為に、とりあえず風呂・トイレ別の部屋に引っ越したいです。

風呂・トイレ別の部屋に引っ越したら、毎朝ホットサンドを作る予定です。

 

マシュマロを焼くと美味いかどうかは知らない(やったことないから)

今週のお題「ホワイトデー」

 

こんにちは、白米うまいうまいです。

今週のお題は、ホワイトデーだそうです。

 

ホワイトデーって、何?

 

突然すみません、でも皆さんそう思いませんか?

 

だって、バレンタインデーの対がホワイトデーなんですよね。

ブラックデーに対してホワイトデーならわかるんですけど、バレンタインって確か人名でしたよね。

 

人名の対に色?

 

なぜ?

 

今、さらっと調べてみたら、一説によるとマシュマロを贈らせようという魂胆から始まったのがホワイトデーなんですね。

まあ、一説によるとチョコレートを贈らせようという魂胆から始まったバレンタインデーの対として考えると、納得がいく気がします。

 

でも、マシュマロって欲しいですか?

 

すみません、別にマシュマロアンチな訳ではないです。

でも明らかにチョコレートの方が欲しくないですか?

 

マシュマロをくれるならホワイトチョコが欲しいです。

 

マシュマロは確かに見た目は可愛らしいですけど、チョコに比べるとアレンジが少ないと思います。

そういうと必ずと言って良いほど「焼くと美味い」という意見が出ますが、マシュマロを焼く場面なんてキャンプくらいではないでしょうか?

あれは絶対にキャンプの思い出補正込みの味だと思うので、今回その意見は却下します。

決して友達とキャンプに行ったことないオタクの僻みではありません。

 

ここまで散々マシュマロ批判をしてきましたが、私が唯一好きなマシュマロの食べ方がありました。

 

チョコレートフォンデュです。

 

チョコレートフォンデュのマシュマロは最高。

お互いがお互いを高め合うベストパートナー。

 

しかし、チョコレートと組み合わさって初めて好きになるとは皮肉なものです。

 

ん?チョコレートとマシュマロが組み合わさって初めて“好き”になる?

 

チョコレートとマシュマロは、お互いがお互いを高め合うベストパートナー?

 

なんだ、バレンタインのお返しに最適じゃんかマシュマロ。

こりゃ1本取られたわ。

 

マシュマロ批判、延いてはホワイトデー批判をするつもりが、最終的にバレンタインのお返しはマシュマロ一択になってしまったし、これはもうホワイトデーって名前で納得だわ。

 

つまり、マシュマロは、チョコレートの返歌だったんですね。

「君のチョコレートに僕のマシュマロをフォンデュして一緒に食べよう」っていう。

あれ、なんか下ネタっぽくありせん?

やっぱホワイトデーって、何?

チュロスが先か幸せが先か

こんにちは、白米うまいうまいです。

 

皆さん、チュロスって知ってますか?

世の中で一番幸せに近い味のする食べ物です。

 

中でも有名なのは、ミスドハニーチュロでしょうか。

 

f:id:hakumaiumaiumai:20180311224213j:image

http://www.misterdonut.jp/m_menu/donut/dvr01.html

 

好き。

この写真を見ただけでヨダレが出てくるパブロフの犬状態の私ですが、皆さんはどうですか?

 

ミスドハニーチュロも勿論大好きなんですが、私が特に好きなのは真っ直ぐな揚げたてのチュロスです。

そうです、よく水族館や遊園地で売っているアレです。

 

私は元来甘党なので、チュロスそのものの味がドンピシャに好みというのもあるんですが、食べた時にここまで“幸せ”の味がするのには別に理由があると思うんです。

 

それは「水族館や遊園地の食べ物として刷り込みがあった」ということです。

 

私がチュロスと初めて出会ったのは、家族で休日に出かけた水族館のイルカショーの売店でした。

幼い私は初めての水族館にとても興奮したのを覚えています。

中でもイルカショーは、ワクワクで心臓が爆発するのではと思う程に楽しみなアトラクション。

そんなはちゃめちゃな楽しみを前に「ちょっと小腹空いたね」と言って両親が私に買い与えたのが、“チュロス”でした。

揚げたてで砂糖がまぶされた美味しそうな棒、第一印象はそんな感じだったと思います。

ショーが始まる前に席に着き、ドキドキしながらイルカショーの始まりを待つあの時間。

私はショーを待ちながら、両手でしっかりと持ったチュロスをひと齧りしました。

 

サクッ

 

あ、幸せの味だ。

今までに幸せを食べたことはないけれど、幸せに味があっなら、きっとこんな味に違いない。

 

私は、もぐもぐと咀嚼しながら、確信していました。

あったかくて、甘くて、口の端からパサパサと砂糖が落ちることさえ、幸せだと思いました。

 

人生で振り返ってもあんなに幸せな瞬間はあまりないかもしれません。

両親と姉と楽しい空間で初めて出会った甘いお菓子。

 

きっとあれがそれまでに食べたことのあったお菓子なら、ここまで好きにはなっていないと思います。

 

だから、私にとってチュロスは、幸せに最も近い味の食べ物なんです。

 

でも私はきっとチュロスって、幸せをお菓子にしようと思って作られたんだと思うんですよね。

???と、急に皆さん置いていかれたと思いますが、これは本当にそうだと思うんですよ。

チュロスがなければ幸せはなく、幸せがなければチュロスはないのでは?

鶏が先か卵が先か、それと同じジレンマがチュロスと幸せにもあるのではないでしょうか。

 

そうでなければ、単に私の前世がスペイン人なんだと思います。

スペインに旅行行きて〜本場のチュロス食いて〜

朝に眉を整えようなどと考えてはいけない

こんにちは、白米うまいうまいです。

 

今朝、出勤前に眉毛をシェーバーで整えていたんですが、聞いたことない「ジョリジョリジョリジョリッ」という音とともに右眉が後ろ半分なくなりました。

 

原因は、シェーバーのヘッドを眉毛用(小)に付け替えたつもりで顔全体用(大)を一度外して再度ハメ直しただけだったことです。

バカ過ぎない?

 

しかし、いくら落ち込んでも私の眉尻は帰ってきません(しばらくの間)。

 

そもそも朝のバタバタの中、「ちょっと眉毛整えようかな」などと考えたことがいけなかった。

それこそが私の敗因です。

 

私は朝の準備というものが本当に面倒で仕方なく、おしゃれのためでなく、時短のために「手櫛でくしゃっとしただけでなんか整って見えるパーマ」をかけるくらい終わってる人間なんです。

 

そんな人間が朝「ちょっと眉毛整えようかな」なんて無理に決まっている。

こんな簡単な方程式を無視して実行した私の敗北です。

 

こんな面倒くさがりな人間ですから、近所のスーパーには勿論すっぴんで行きます。

しかも振り切れない人間でもあるのでマスクを付けていくことが多いんですが、そうすると結果的に目元がクローズアップされてしまう訳です。

しかも、髪の分け目のせいで右眉は丸出し。

 

恥ずかしい。

 

でも、その度に眉毛を描くのは死ぬほど面倒くさい。

今までもその一心でギリ描かなくても外出できる長さに眉を整えていたのに。

 

今日は、眉ティントを買って帰ろうと思います。