なんにでもあう

たきたて白米

「馬鹿にされた」と感じたのは私自身が馬鹿にしていたからだ

ちょっとだけいつもより真面目な話をします。

なので最初に、話がわかる皆さんに一言お伝えしておきます。

 

※この話は、フィクションです。

 

 

社会人1年目の私は、いろいろな選択肢の中から契約期限付きのいわゆる非正規雇用を選択し、怠惰な大学生時代に培った夜型の生活リズムを呪いながら毎朝慌ただしく出勤する日々だった。

先程「選択し」なんて嘯いたが、就職活動をする中で残った唯一の希望進路がそれだった。

 

とにかく、朝寝坊しませんように。

とにかく、生意気だと思われませんように。

 

そんなことを願いながら、引っ越したての段ボールだらけで足の踏み場のない部屋から必死で這い出て満員電車に乗り込んだ。

その時は、今の仕事の契約期限が過ぎた後のことなんか考える余裕はなかった。

毎日ただガムシャラに、目の前の業務をなるべく迅速に終わらせるようにということだけを考えて努力した。

 

そんな努力も叶ってか、契約は更新され、2年目の夏が来た。

突然、時が進んで申し訳ない。

書きながら、2年目のことだったと思い出したので許してほしい。

 

引っ越して2年目のワンルームには、相変わらず段ボールがある。

段ボールの数こそ減ったが、部屋の荒れようは土日も厭わない連勤が続く度にひどくなっていった。

土日に大掃除をしなきゃ、と思ってもう十数回カレンダーをめくってしまった。

 

そんな時に、大学時代の友人Aから「B(Aと私の共通の友人)の出る演劇を観に来ないか」という誘いがきた。

私は、日頃の言動からAのことは大嫌いだが、Bの活動は応援していたし、少し割高な入場料を躊躇なく払えるくらいの蓄えはあったので、行くことにした。

というよりも、買い物をする気力もなかったので、そんな機会でもなければお金を使えなかった。

 

当日、見知らぬ駅の改札で、Aを含む大学時代の友人4人と待ち合わせをした。

ところが、そこに現れたのは会社勤めの友人2人だけ。

Aともう1人は、やむにやまれぬ事情でドタキャンとのことだった。

余談だが、その来れなくなった2人は、芸人を目指してコンビで活動している。

これだから…と私は少し不満に思った。

突然の予定は誰にだって入る。それは、理解している。

ただ、その時の私は「会社勤めと違って決まった休みとかないんで」と言われてる気がしたのだ。

このためにわざわざ仕事終わりに着替えもせず集まった3人が、馬鹿みたいだった。

 

スーツ・スーツ・オフィスカジュアルという私達は、30席ほどと思われる小劇場の座席で完全に浮いていた。

チケット受付で「Bの取り置きの〇〇です」と言った時に既に『誰?』という顔をされた(気がした)。

というのも、観客のだいたいは出演者の家族・知人・友人でみんな顔見知りといった様子だった。

開演までの30分ちょっと、人が入ってくる度にあちこちで「あ!こないだはどうも!」というやり取りが繰り広げられ、私達に視線を移しては『誰?』という顔をされる。

とにかく居心地が悪かった。

 

永遠とも思われた開演前の時間が終わり、ようやく本編が始まった。

と、思いきや、その演劇は2本立てで前半戦はBが一切出てこない。

それでも、真剣に観た。

前半部分のストーリーは、会社員の男性が主人公だった。

おかげで劇場内のスーツの人口が少しだけ増えた。

前半部分を要約すると、主人公が会社員である自身に葛藤を抱えながら毎日をもがく物語だった。

何者にもなれなくて苦しい日々の中に、ささやかな幸せを見出す物語。

 

そんな物語を一通り観た後、幕間に主催者が出てきた。

この物語に込めた思いなんかを語っていた。覚えてはいない。

 

なんとも言えない気持ちになりながら後半戦を観る。

さっきとは打って変わって、浮世離れしたコメディタッチのご機嫌なストーリー。

Bも出てきて、生き生きと役を演じていた。嬉しかった。

 

終幕後、客席を挨拶回りしているBに声をかけ、私達は「面白かったよ」「差し入れ渡しておいたから、皆さんでよかったら」と口々に伝え、劇場を後にした。

 

しばらく黙って歩いてから、私達3人は誰からともなく「一杯やってこう」と言って、知らない町の安居酒屋に入った。

 

「どうだった?ぶっちゃけ」と、友人が聞いてきたので、私は「面白かったよ」と答えた。

 

「でも、前半のやつは、どう思った?」

 

前半のやつ、会社員が主人公のあの物語。

 

「なんか…馬鹿にされてる気がした」

 

私が酒の勢いに任せて不満気に言うと、2人から「だよな〜」という返事が返ってきた。

 

「何がむかつくってさぁ、会社員のイメージってあんななんだって見せつけられた気がするのよ」

 

友人の1人がそう言う。

わかる。その気持ちが痛いほどわかる。

 

ただの会社員で何者でもない葛藤を、演劇で表現として昇華されることの残酷さ。

「会社員のささやかな幸せを描く」ってことは、会社員はささやかな幸せしか手に入れられないと思っているの?

会社員は"特大の幸せ"をどうあがいても手に入れられないのか。

 

その演者が実際に会社員経験があるかないかは、どうでもよかった。

だって、あったとしても、演劇という別の世界では自分が主人公の"特別な"会社員じゃん。

そんな人に「会社員ってこうだよね」と、簡単に解釈してほしくない。

何もない私達を、見下して馬鹿にしてほしくない。

 

そんな気持ちを吐き出しながら、私達は終電まで飲んで各々しっかり帰路に就く。

明日も仕事だ。

 

電車に揺られながら、またさっきの演劇について考える。

なんであんなに悔しかったのか。

馬鹿にされたと憤ったのか。

 

そもそも自分達が場違いな気がしたから?

私達以外の観客のほとんどは、会話等から察するに舞台関係者ばかりだったように思う。

私達には割高と感じてしまうチケット代も、いずれ今回の出演者が自分の舞台を観に来る時に還元されるのでは。

つまり、部外者の私達こそ純利益で良いカモなのか。

 

思考がどんどん悪い方へ引っ張られていく。

それも最近、あまりよく眠れていないからだろう。

 

そんな人達の中で見せつけられたのが、あの題材だ。

「夢を追っている人」と「夢もなく会社勤めの人」という明らかな対比で構成された脚本。

目の前の寸劇がウケる毎に、自分達が笑われているという錯覚に陥った。

 

誰かを演じるという行為は、演者がその人物をどのように捉えているのかを残酷なほど浮かび上がらせる。

 

しかし、それだけか。

どんなに馬鹿にされたって、何を言われても揺らがない価値を今の自分に見い出していれば、そこまで憤らないはずだ。

私は、今の生活に不満を持っているのではないか?

そして、それは私自身が"ささやかな幸せ"すら手に入れられてないからではないか。

忙殺される毎日の中で、自分の本当にやりたいことから目を背けているからではないか。

 

今の仕事に対して「このままでいいのか」と、自分の中で迷いがある。

私自身が夢を追っている友人を羨んでいる。

迷いもなく、まっすぐに自分の夢に向かっている友人が羨ましい。

だから、迷っている自分を見下されていると感じる。

「馬鹿にされた」と感じたのは、私自身が馬鹿にしていたからだ。

友人のように自分の望む道を決断できず、迷っている自分を。

 

そう気が付いたところで、最寄駅に着き、電車を降りた。

ちゃんとわかっている。夢を追っている友人だって、迷いがないわけではないだろう。 

友人から見れば、私達の目線こそ「馬鹿にしている」と感じたかもしれない。

 

自分だけが苦しいと思って世間を呪っている場合ではない。 

仕事に迷いがあるなら、せめてどこか仕事以外で自分が主人公になれる場所を作ろう。

小さな決断だが、こういう決断のひとつひとつが積み重なって、この迷いにもいつか結論が出るかもしれない。

 

 

そんなことを思って、このブログを始めました。

このブログの中の小さな世界では主人公であるということが、いつか迷った時の指標になりますように。

それでは最後にもう一度、この言葉を添えておきます。

 

※この話は、フィクションです。