ドライアイなのに目薬をさすのが下手
こんにちは、白米うまいうまいです。
突然とんでもねえ名前で失礼。
名前が思いつかなかったので、ID名をそのまま名乗っています。
でもまあ白米はうまいです。なんにでもあうし。
おいしいおかずでご飯が進むのは、おかずが魅力的だからじゃない、ご飯がなんにでもあうからだよ。
話が逸れました、タイトルの件に戻ります。
私という人間は、ドライアイなのに目薬をさすのが下手です。
これこそが私という人間のすべてです。
どういうこと?とお思いでしょうが、そういうことなんです。
ドライアイなのに目薬をさすのが下手。
自分に必然的に必要な能力の値が0(ゼロ)なんです。
こんなに悲しいことがありますか。
私の地元はド田舎なので、小さい頃に友達と遠出をしようすると、必然的に自転車に乗る必要がありました。
しかし、私が自転車に乗れるようになったのは小学3年生。
周りの子達が1年生で習得していた自転車を「転びたくない」の一心で2年もの遅れを取って習得しました。
そう、私の人生は全部「〇〇したくない」の足枷で雁字搦めになっているんです。
あ、目薬は単に先端恐怖症の気があって苦手なだけなので、あんまり関係なかったですね。
でも先端恐怖症って不便なんですよ。それこそ小さい頃、合唱練習の時に先生が「指揮棒の先をよく見て〜」と言ってくるのが拷問に近いほど苦痛でした。
だって、目に刺さるイメージが離れないんだもん。絶対指揮の人の手が狂って飛んできた指揮棒が私の眼球にサクッとクリーンヒットするもん。ゾワワッ!
また話が逸れました。
私のこういうところもいけない。
この文章だって「ダサいと思われたくない」と思って書いてます。
「ウケたい」なんて大層なこと思えないんです。
ダサいと思われたくない。嫌われたくない。
よく人に指示を出す時は“肯定形”で、と言います。
例えば、バスケの試合でシュートを決めてほしい時に「外すな!」ではなく「入れろ!」と指示すべきと。
否定形の「外すな」よりも肯定形の「入れろ」の方が人間反射的に反応できるし、プラスのイメージを抱いて成功しやすいとかなんとか。
そう考えると、私は自分自身に否定形の指示を出し続けて自分から成功を遠ざけるという非効率的な生き方をしている訳です。
なんだそれ、ふざけてんのか。
でも20数年積み重ねてきたものってもう体に染み付いちゃって、そう簡単に変えられないんですよね。
だから、最後にこのブログの意気込みを書いて終わりにしようと思います。
スベりたくないな〜